どこにそんな力が潜んでいるのか。
わいわい市の準備をすべて終えた日の夕暮れ時に
明日開催される「わいわい市」について思いを巡らせてみた。
どのお母さんもそれぞれの場所で、このわいわい市への想いを寄せていた。
ホールに陳列された手作りの作品たちは、どの作品も心が込められていて、見ていて泣きそうになる。
準備は夏の暑い最中から始まっていた。
明日、販売される予定の焼き芋や五平餅、ぜんざいや豚汁も、お母さん、そしてお父さんたちの力や知恵が集められ試作に試作を重ねられていた。
見えないところで沢山の手が動かされ、心が寄せられていた。明日の「わいわい市」という日に向けて。
2007年、今から16年前。
菰野町千草で「森の風ようちえん」が始まった。
と言っても、現在のような園舎があった訳ではなく、当初はスーパーの跡地を改装した場所。
「ここを使ったらいい」と善意で言ってくださった千草の方のご好意があり、森の風ようちえんはスタートを切った。
そして翌年、「子どもたちの未来のためにやっていることを、地域の色々な方に知っていただきたい」という園長先生の想いから「わいわい市」は始まったという。
ある年には、わいわい市での収益が屋根の修繕費に充てられたりと、切実な財源でもあった。
少しでも子どもたちの活動がよりよくなるようにとの母の願いがそこにあった。
今では雨漏りの心配などのない園舎で子どもたちは過ごしている。
変わりゆくものと変わらないもの。
・
・
・
子どもを寝付かせた後、くるみの殻を使った針山を作るというもりさん(年少さん)のお母さんに聞いてみた。
「なぜ、そんなに頑張るの?」
「森の風のお母さんだから、頑張らなくちゃと思って」
まだ小さい赤ちゃんを背中に背負い、照れながら答える彼女の姿が印象に残った。
時代とともに、その必要性の大きさや意味は確かに変わっていくのかもしれないけれど、
そこに向かうお母さんたちの姿はもしかしたら変わらないものがあるのかもしれない。
変わりゆくものと変わらないもの。
繋がりの中で受け継がれるもの。
明日は、それぞれの想いの中でどんな一日になるのでしょう。
わいわい市の準備をすべて終えた日の夕暮れ時に
明日開催される「わいわい市」について思いを巡らせてみた。
どのお母さんもそれぞれの場所で、このわいわい市への想いを寄せていた。
ホールに陳列された手作りの作品たちは、どの作品も心が込められていて、見ていて泣きそうになる。
準備は夏の暑い最中から始まっていた。
明日、販売される予定の焼き芋や五平餅、ぜんざいや豚汁も、お母さん、そしてお父さんたちの力や知恵が集められ試作に試作を重ねられていた。
見えないところで沢山の手が動かされ、心が寄せられていた。明日の「わいわい市」という日に向けて。
2007年、今から16年前。
菰野町千草で「森の風ようちえん」が始まった。
と言っても、現在のような園舎があった訳ではなく、当初はスーパーの跡地を改装した場所。
「ここを使ったらいい」と善意で言ってくださった千草の方のご好意があり、森の風ようちえんはスタートを切った。
そして翌年、「子どもたちの未来のためにやっていることを、地域の色々な方に知っていただきたい」という園長先生の想いから「わいわい市」は始まったという。
ある年には、わいわい市での収益が屋根の修繕費に充てられたりと、切実な財源でもあった。
少しでも子どもたちの活動がよりよくなるようにとの母の願いがそこにあった。
今では雨漏りの心配などのない園舎で子どもたちは過ごしている。
変わりゆくものと変わらないもの。
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子どもを寝付かせた後、くるみの殻を使った針山を作るというもりさん(年少さん)のお母さんに聞いてみた。
「なぜ、そんなに頑張るの?」
「森の風のお母さんだから、頑張らなくちゃと思って」
まだ小さい赤ちゃんを背中に背負い、照れながら答える彼女の姿が印象に残った。
時代とともに、その必要性の大きさや意味は確かに変わっていくのかもしれないけれど、
そこに向かうお母さんたちの姿はもしかしたら変わらないものがあるのかもしれない。
変わりゆくものと変わらないもの。
繋がりの中で受け継がれるもの。
明日は、それぞれの想いの中でどんな一日になるのでしょう。
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